ゲド戦記

 いずれ死ぬのだから今はどうでもいいだとかじゃない。限りある命だから、親から生まれて自然に生かされてる大切な命だから 今を一生懸命に生きて 次に引き継いでいこう

 子を殺す親、親を殺す子、物はあふれてもいても貧富の差は大きく上辺だけが賑やかな街、自分の負に負けた者は薬に堕ちて、目に見えないものよりは実体をもつまがい物を信じる。裕福だけれど笑いのない束縛感のある息苦しい家庭。世界は違えど現実社会と悲しいほどとても重なり合う。
 戦記というわりには魔法や兵器などの派手などんぱちはあんまりない。最初っから派手なアクションを沢山取り入れた方が見栄えがするし映画を観たって達成感が得やすいと思う。だけどそれをしないで地道にキャラクターに旅をさせて、戦わせたのはなんでもかんでも魔法で片付けてしまわずに出来るだけ汗水流して解決しようとするゲドの考えからかと思う。でも、ここぞっていうときにはきちんと魔法を使うの。「能ある鷹は爪隠す」ってまさにこのことなのかしら。
 そんなゲドに寄り添うのは優しいけれどちゃんと一本筋が通っていて逞しい屈しない女性テナー。男の人の不甲斐なさも分かっていて送り出す力と迎え入れる力をもっている人。そんな人がいるからこそゲドは旅たてるんだろうし、信頼と尊敬があるからこそテナーもゲドを待てるんだろうなぁ。
 テナーに薬をもらうおばちゃんズ。もらうもんはきっちりもらうくせにあからさまにイヤミ言ったりこんなトコロにも現代社会のあるあるが。
 アレンを追い詰める存在だった「影」がテルーを導いてアレンを救う存在になったのが新鮮だった。思えばみんな自分の中に「影」を持っていて否定して逃げているだけなんだ。「影」は光がないと生きられない。自分と向き合って欲しくて認めて欲しくて追いかけてきた「影」を認められたのは回りに叱ってくれて、励ましてくれて、共に生きる人がいたから。そんな存在がいない、もしくは気付けなかった魔法使いのクモは可哀相な人だ。誰しもがアレンにもクモにもなりうる。
 ゲドとテナーとアレンとテルー、おしゃべりをしながら楽しそうに食事をする様はまるで本当の家族のようで幸せそうだった。ちゃんと国に戻って罪は償うゆうてるしええんちゃうかなってホントに王様って死んじゃったのかしら?おかぁさんもせめて二十歳までは息子さん叱咤激励してあげて。あたし、最初の戦ってた竜のどっちかがテルーで地上に落ちてテナーに拾われたんだと思ってた。人も竜もおかしくなってお父さんかお母さんと戦っちゃったんだと。人間に戻ったときちゃんと服着てて何よりです(ってなんの心配)そしてテルーとテナーがごっちゃになります。
 菅原文太さんがステキでした。とても。「声だけの演技をするにはまず演技ができなければ駄目だ」というのを本当に実感した。今までの生き様がのせられたセリフには説得力がありました。ステキ。かっこよい。シブイ。ルパンに出てきそうな中間管理職のウサギもステキ。
 知識と経験をもつ人たちを敬い大切にして生きる知恵を授かりながら今を生きてまた後世に伝え行く。それは映画の中でも、この映画をつくった人たちにも、そして私たちにもいえること。